「日本型パソコン流通」を断ち切った3ヵ月―アップルジャパンの強気―
日本でのアップル復活の主役はこの人だ
iMacの生みの親、スティーブ・ジョブズのカリスマ。それはiMacを日本でヒットさせる起爆剤になった。しかしカリスマだけでものは売れない。ウィンドウズマシンが売れたのは、ビル・ゲイツにカリスマがあったからではない。ウィンドウズOSの普及率が臨界点に達したという非常に単純なビジネスの論理で売れたのだ。
では、日本市場を見た場合、1998年8月の発売以来、月3万~4万台売ってきたiMacの本当の強さとは何なのか。丸みを帯びた、スケルトンのボディー、ワンタッチでインターネットに接続できるユーザーフレンドリーな作り、そんなある意味「子供だまし」の部分をすべて取っ払ってしまっても、まだ残るiMacの強みとは何なのだろうか。それを検証するため、「日本でのアップル復活の主役」と言われるアップルコンピュータ日本法人社長、原田永幸の激動の2年間を振り返った。
辞表を書いた途端「社長をやってみないか」
96年、原田は、アップル本社に転勤を命じられ、そこでワールドワイドプロジェクトグループの一員として働いていた。申し分のない気候、素晴らしい自然環境、そして有能な同僚たち。アメリカには何百回も出張で来ていた原田だったが、ここ、シリコンバレーに住んでみて、日米の文化の違いをあらためて感じていた。「個人のパワーのすごい国だ。プロフェッショナリズムが確立している。日本の協調性第一主義がイノベーション(革新)に立ち遅れるのも無理はない」。
原田は、優秀な同僚たちに囲まれ、アップルの経営戦略に関わる重要な仕事をしながら、文字どおり世界を飛び回っていた。しかし原田の心は、曇りがちだった。移り住んだパロアルト周辺の不動産価格が日に日に上がる、好況を絵に描いたようなアメリカにあって、アップルは大リストラの嵐に見舞われていたのだ。そして、とうとう原田らにもリストラの波が及んだ。海外から来ていた社員は、家賃など生活費がかさむという理由で、自国に帰るようにという辞令が出た。
原田は迷った。日本では、志賀徹也が社長の座に就いていた。日本に帰っても、彼の下でそれまでやってきたマーケティングの仕事をやるだけである。アメリカに一年住み、貪欲なまでに自分のキャリアを追求するアメリカの同僚を目の当たりにして、「そんな後ろ向きなキャリアは選べない」と考えた原田は、辞表を書く。ところが帰国後、思いがけず志賀がアップルを辞めた。本社に呼び戻された原田は、「社長をやってみないか」と打診される。すでに数社から誘いをを受けていた原田だったが、迷わずアップルに戻った。原田の腹は決まっていた。
原田が社長に就任した97年の7月、アップルの創業者にしてカリスマ的存在、スティーブ・ジョブズがアップルに帰ってきた。それまで原田はジョン・スカリー、マイケル・スピンドラー、ギル・アメリオの歴代3人のCEOに仕えていながら、ジョブズには会ったことがなかった。待ってましたとばかり、暫定CEOとなったジョブズに会うべくアメリカに飛び、ジョブズと初めて言葉を交わした瞬間、手応えを感じた。「アップルの強さをすべて知っている人はこの人だ」。
拡げすぎた販路と代理店への依存体質
原田がまず最初に取りかかったのは、複雑怪奇な流通網に大鉈を振るうことだった。「アップルが今、苦境にあるのは、外的要因ではありません」。社長就任会見でそう言いきった原田は、内部的要因、すなわち流通在庫が「3カ月分くらい平気であった」(原田)という問題の解決に取りかかった。結果から先に言ってしまうと、現在の流通の在庫は2日分である。原田の言うところの「販売チャンネルのリエンジニアリング」は、どのようにして実現されたのか。
95年頃までに、「マックマスター」と呼ばれる、自称「アップル商品を扱っている」お店が全国で3700店にも膨れ上がっていた。しかし本気でアップルの商品を売っていたのはその中でも100店舗ほどしかなかった。あとの店は、ウィンドウズマシンにどんどんシェアを奪われるアップルの商品を半ば見放し、ろくなスペースも取らず、広告宣伝費も削り、ただ置いているだけ……ひどいところになると、アップルを扱っていると謳っていながら、商品さえないところもあった。
「これは私たちの責任なんです。何を売ろうとしているのか、どこが営業の強みなのか、全くユーザー無視の販売店の実態をつくってしまったんです」(原田)。
原田は、今までアップルの商品を最も多く扱っていた代理店、キヤノン販売に向けていた社内の経営資源を、消費者との接点である販売店にシフトする必要性を痛切に感じていた。そこでキヤノン販売にもそのことをはっきりと伝えた。それは、簡単な仕事ではなかった。
キヤノン販売は、アップルコンピュータ日本法人が出来た83年から、マッキントッシュを累計で300万台は売ってきたという、「超」がつくほどのお得意様だ。マッキントッシュの販売にはずいぶん貢献してきた。しかし、その販売力がいつしか「自分たちが食わせてやっているアップル」という姿勢に変わってきた。べらぼうに高いマージンを取り、アップル側が「この製品をこれだけ売ってください」ということさえ許されなかった。ひと頃はアップルの人事にまで口を出すほどの隠然たる影響力を振るっていたという。しかし原田は、「過去貢献したから、そのままいくんだということではない」と、断固とした態度で、キヤノン販売との関係の「正常化」を推し進めた。
関係者によれば、原田はキヤノン販売の大御所、滝川精一会長のところに出向き、「ディストリビューター(代理店)の役割は、ローコストの流通にあって、付加価値をつけることではありません。付加価値をつけるから余計にマージンを上乗せせよとおっしゃるのなら、それはお客様から直接貰ってください」と詰め寄った。「この条件を呑んでいただけないのであれば、うちとビジネスをしていただかなくても結構です」とまで言ったという。自ら退路を絶っての賭けだった。まだiMacの影も形もない九八年の暮れのことだ。
「飼い犬に手を噛まれた」かたちのキヤノン販売は、内心面白くなかったかもしれない。滝川会長の最初の答えは「ノー」だった。しかし同社はこの頃、すでにビジネス市場での競争力がないという理由で「マック離れ」をしていた。(日本ガートナー・グループ、データクエスト 主席アナリスト志賀嘉士)。キヤノン販売は、最終的にはアップルの条件を呑んだのである。
全国の販売店を社員が足で「審査」
残された仕事は販売チャンネルの整理だが、アップルのやり方は「整理」というような生やさしいものではなかった。まだiMac発売の事前発表もなかった98年4月から3カ月間、20人のアップルの社員が行動を開始した。苫小牧から沖縄まで、足で販売店を一つ一つ回ったのである。それぞれの店舗でこんな会話が交わされたものだった。
「すみません、マッキントッシュを買いたいんですけど、こちら置いてますよね」
「いや、もうマックなんて売れないから、うちではやらないんだよ。昔はよかったけどね」
そんなやりとりを詳細にレポートに書き込み、今後、アップルと長い付き合いをしていけそうなパートナーを厳しく選び出していった。のちに述べるように、まずアップルが新しく構築しようとしている流通在庫を限りになくゼロに近づけるサプライチェーンに対応できることが第一の条件、そして第二の条件が、原田の言う「マックユーザーの視点に立ったお店の展開ができている店」だ。「(品物を)段ボールに入れたまま裏の倉庫に入れておいて、価格だけ表示して売っているようなところに、新規ユーザーを掘り起こすことなどできません。基本的に常時デモをやることです」。
もちろんアップル側からも、そういう"意欲のある店"には、週末に応援部隊を出したり、デモキットを配布したり、店員のトレーニングをしたりといったサポートを約束した。こうしてアップル側の厳しい"抜き打ちテスト"に合格した店だけが、晴れて「iMacデモ展示販売店」を名乗ることを許されたのだ。「マックマスター」が「手を挙げれば誰でもなれる」(アップル関係者)ものだったのに対し、「iMacデモ展示販売店」は、いわば"折り紙付き"の店なのである。
5月の連休にiMacの商品発表があり、これがどうやら前代未聞の強力な商品だとわかると、全国の販売店からのアップル詣でが始まった。
「いやあ、iMacを見たとき、感動で震えがきましたよ。もう40台もご注文いただいております」。そんな電話が担当者のところに殺到した。しかし、実地調査で落第店をつけられた販売店には、先に何台オーダーを取っていようと、iMacが届くことはなかった。
独禁法違反の声も社員の身の危険もあった
「販路規定」は、当然のことながら独禁法違反になる。しかし、アップルの最先端で流通網の改革をやっていた戦士たちは、きちんと理論武装もしていた。独禁法専門の弁護士について、社内でトレーニングを行い、言質を取られないよう、録音されていることを前提に話をした。「私どもは外資系の会社ですから、リーガル(法的)なことに関して、経営のガイドラインや社内文化にはものすごく厳しいものがあります。少なくとも日本企業よりも厳しいガイドラインがあります。もちろん今回の施策は、独禁法違反といった見方がされるかもしれないという想定で、私どもは相当勉強いたしました」(原田)。
8月29日、日本でもiMacが発売された。もともとマックを扱っている"はずの"3700店のうち、「iMacデモ展示販売店」はその時点で100店舗まで絞り込まれた(99年4月5日現在では、大学生協を含め、約300店舗)。アップル関係者によれば、iMac販売の日には、とうとう最後まで商品を卸してもらえなかった販売店の反発を恐れて、店舗に派遣した社員にはガードマンまでつけたという。
iMacは発売1カ月で4万台売れ、それ以降もペースを落とさず売れ続けている。5色が揃った1月にはむしろ販売台数が増えたほどだ。一方、販売チャンネルの事実上の限定以外に、iMacはもう一つ、PC流通業界の常識を破った。iMacには全く値崩れがないということである。どこで買っても一律15万8000円。今度は、独禁法の「再販価格維持」に抵触するのでは、という疑問が湧く。
パソコンはオープンプライスが取られ、事実上メーカー小売希望価格はないことになっているからだ。消費者にいちばん近い小売店が値段を決め、そして販売店はメーカーに値下げ分の補填を求めるのが慣習化していた。しかしアップルは、各店舗に「おたくには卸しません」とは言わなかったのと同様、「この価格でしか売ってはいけません」とも言っていない。ただ、値下げできないほどマージンを低くした。そのマージンでもビジネスができるというところだけがiMacを扱っているのである。
PCの流通を根本から変えた大手術
アップル側は、iMacを扱いたいという店に対しては、「おたくはわが社の新しいサプライチェーンにちゃんと対応していただける体質ですか。マージンは従来よりもはるかに少ないんです。極端にいえば在庫の回転を従来の2倍にしなければ利益額を確保できませんよ」と念を押した。今、iMacを扱っている店舗では1週間分の在庫しかおいていない。そして売れた台数は毎日アップルに伝わるようになっている。そして2、3日以内にその売れた分がシンガポールの組み立て工場から直接補給されるという仕組みだ。
この体制が出来るまでは、シンガポールから習志野の物流拠点にいったん品物を集め、その後、代理店の倉庫に「次に出す商品だから、とりあえず持っていてほしい」という、いわゆる「押し込み」をやっていた。そして売れ残ったものについてはアップル側が補填するという悪循環で、赤字が膨らんだ。
その習志野の拠点も97年10月に閉鎖したことで、物流にかかる固定費は80%減らすことができたという。人員も、60人いたのが4人ですむようになった。
新しいサプライチェーンでは、メーカーと販売店ががっちり組んで、低マージンでも回転数を上げて利益を確保できる仕組みをつくり上げた。販売店にしてみれば、そういう態勢に対応できるところだけがアップルと取引ができるというわけだ。
これまでメーカーと代理店、販売店は、お互いの責任の所在をはっきりさせないまま、馴れ合いのビジネスをやってきた。メーカーは品物を需要より大幅に多く作ったうえ、流通経路に押し込み、それを無理矢理呑み込んだ代理店や販売店は、当然のことのようにメーカーに補填を求めた。このもたれ合いの関係が、アップルだけでなく、他の日本のPCメーカーを苦境に追いやった。
「アップルがすごいのは、このしがらみだらけの販売チャンネル改革を非連続的に一気にやってしまったこと」とアンダーセン コンサルティングのアソシエートパートナー・西村裕二は言う。「日本のメーカーは売り上げ至上主義で、在庫リスクを過小評価していた。そもそも生産能力が過剰なので、それをいかに埋めるかが問題で、売れ残りの責任を誰が取るかははっきりしていないのが実情です」。
一方、データクエストの志賀は、
「アップルは、大きな時代の流れを先取りした。実はNECや富士通などの国内大手のPCメーカーも、流通網の整理に取り組み始めているが、系列の代理店などとのしがらみがあるので、それを一夜にして変えることはできない」と語る。ある意味では「落ちるところまで落ちたアップルだからできたこと」(志賀)であった。「ある程度シェアがあるところは、かえって思い切ったことができないんですよ。『金持ち喧嘩せず』ですか」。
その意味で、アップルに失うものがなかったのは今回に限りプラスであった。しかしiMacがここまで成功した今でも、原田は「私は数ではなく、質の向上にフォーカスします」と言って憚らない。「営業数字を目の前で作ることは簡単です。目標何10万台と掲げて、大量に仕入れて、素材を調達して、作って、倉庫に入れて、さあこれだけ買ってください。リベート出します、と。しかし、それをやると私どもが経験したような大変な赤字を出すわけです」。
「iMacは揮発性の商品ではない」
販路の贅肉を削ぎ落とし、流通在庫2、3日という生鮮食料品並みの在庫回転率を実現したアップルだが、それもiMacという強力な商品があってこそだった。原田は、iMacという名前こそまだ知らされていなかったものの、非常に強力な商品を投入することをジョブズに約束されていた。それを信じ、その最強の商品をフルに使うつもりで、販路の整理にあたった。iMacがただの流行で終わってしまっては、この苦労も水の泡。「いいときだけのマック」という轍をふたたび踏むことになってしまう。
しかし原田は「iMacはトレンディーな"揮発性"の商品ではない」と言いきる。「ジョブズも、パソコンの歴史というのはまだ20年。向こう100年はどんどん発展していく可能性を持っていると言っています。今後インターネットのインフラもライフスタイルもビジネススタイルも当然発展していくわけですから、そこをリードするような商品の発展というものがiMacの継続的なビジネス成功の鍵です」。
原田の父親は、長崎で養鶏業を営んでいる。「酒もタバコもやらない生真面目な厳しい父です」と息子の顔をのぞかせたかと思うと、「でもコンピュータのことは全然わからない。いまのiMacはまだ難しい。広告だって親父の友達に言ってもわかるようなのを作れと言っているんです」とまたすぐに仕事の話に戻る。今の原田の頭のなかは「これから」のことでいっぱいだ。
「iMac成功おめでとうございます、なんてたくさんの方から言っていただけるんですけれど、ゴルフに例えると80であがってきても『あのパットが外れなかったら70台だった』というようなおもいはしょっちゅうあるわけです」
当面の課題としては、直販のアップルストアを成功させ、BTO(受注生産)やCTO(注文仕様生産)のできるインフラを立ち上げたいと考えている。
シリコンバレーに1年暮らして、「個人のパワーのすごさ」を肌で感じた原田だが、その体現者のような人物が、原田が敬愛するスティーブ・ジョブズその人である。そのカリスマ性が、ときに独裁者のような振る舞いと取られるジョブズだが、原田は「僕は彼のことを怖いとは思わない。彼ほどストレートに情熱を持って、自分のロマンを一生懸命語ってコミュニケーションする人はいないと思います。そんなCEOの下で働けるのは非常に幸せだと思う」と話す。
原田自身は、「情熱」の経営者というよりは、日本的な「仕事人」と言ったほうが近いかもしれない。「私はどんな外的要因でも業績不振の責任を経営者は取るべきだと思っています。退任する覚悟はいつもあります。それは、個人的にはルーザー(敗者)になりたくないからです。退任はルーザーじゃない。経営不振に陥ってもなんの施策もなくて、黙ってふんぞりかえって自分の保身活動だけをしているのがルーザーです。経営は、自分の節度を持って対応すべきです。それが社員と組織力を強くしていく私の一つの姿勢です」。
「ロマンとビジョン」を持った本社経営者と、それを「信念」を持って形に変えていける日本のパートナー。それはiMacという商品にも替えがたいアップルの財産といえるだろう。
(PRESIDENT1999年5月号より)
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